とある探偵事務所(仮)のお仕事

<創作> <シリーズ:とある探偵と花の魔女> <ファンタジー> <ショートショート/文字数:2,233文字>

公開日:2015/09/21
フリーワンライ企画(Web企画投稿作品再録)
お題:こうかい(変換可)/貴方のそんな声は知らない/御城/ブルームーン/切り傷
⇒使用したもの:全部(なお、「こうかい」は「後悔」と変換)


「成程、ここがお前らの御城って訳だ」
 今夜の標的を追い詰めるのに、えらく時間がかかってしまった。僕も智也も肩で息をしながら、奴との距離を縮めていく。奴の背後には廃工場。だが、中に逃げ込ませるようなことはさせない。
 だが、奴はゆっくりと此方を振り返ると、口の端を異常に吊り上げ、大きく雄たけびを上げた。見る間に奴の体が膨張し、服を引き裂いていく。そこに現れたのは、黒い大きな獣だった。

 ――ブルームーン――
 「決してありえない事」という意味を持つその薬は、その名の通りありえないまでの陶酔感と快感をもたらすとして、最近の裏市場では馬鹿みたいに売れていた。しかし、その正体は、肉体そのものを変容させ人間を一種の『兵器』として作り変える代物――当然、『彼ら』との繋がりもあるはずだった。

 智也は懐からナイフを引き抜き構える。奴が嘲笑するのが響き渡る。
「そんな小道具でどうにかできるとでも思っているのか」
「まあ焦んなよ、世間知らずの坊主がよ」
 そう言うなり、彼は「己の手」にナイフを突き立てる。皮膚の切れる嫌な音がし、瞬く間に手が真っ赤な血に染まる。怯む相手に構わず、智也は両の手に大きな切り傷を作ると、ナイフを投げ捨ててこう言い放った。
「今なら優しく扱ってやるよ、大人しく投降しな」
 肩で息をして汗だくのクセに、いつもと変わらぬ憎まれ口。その挑発に奴は大きく嗤い声を上げる。
「頭でもおかしくなったかよ。お前、何かキモいわ。夜のお相手なら、そちらの」
 奴と目があった。と思った瞬間、僕は大きく宙を舞っていた。
「綺麗な御嬢さんの方がいいねぇ」
 下卑た声を背景に、強かに壁に打ち付けられ、僕は意識が朦朧とした。奴の背後から延びる黒い尾のような物に弾き飛ばされたのだと、頭の片隅で理解した。くそっ、さっき無茶をしたばっかりに……。

『伝え、テッセン』
 彼がそう呟くと同時に、手のひらから落ちた緑色の小さい物体が一気に長いツタとなり、敵の方へと伸びていく。ツタはそのまま相手の体へと絡みつき、その動きを封じていく。
「なめんなよ、くそが!」
 奴がそう叫ぶと、全身の筋肉が肥大し、ツタを強引に弾き飛ばす。そのまま反転し、工場の方へと逃げようとする。
「逃がさねえよ」
 そう言った彼の声は酷く低く、ズボンのポケットに手を突っ込むとすぐに引き抜き指弾を放つ。すると、奴の進行方向に、人の掌サイズである緑色の紡錘形の塊がいくつも出現した。
『爆ぜろ、カタバミ』
 彼がそう叫ぶと、緑色のその塊は爆音を轟かせて弾け飛び、奴の肢に命中した。奴は悲鳴を上げてその場に倒れ込み、穴だらけになった足を抱え込んだ。辺り一面、散弾銃でも乱発したかのような状態に、僕はしばし言葉を失った。
「悪いけどな、そんな薬使っている連中に手加減してやるほど、俺も御人好しじゃねえんだ。ましてや、見境なくソレを売りさばいて、小さい子供にまで無理やり飲ませていたとあっちゃぁ……判るよな?」
 僕は激しく後悔した。彼の、いつもはうっとおしくさえ思うほどの能天気な智也の姿はそこにはなかった。君の、そんな腹の底から響き渡る低い声、そんな声は知らなかった。彼は奴へと近づいていき、ジャケットの内ポケットに手を伸ばす。
「止めろ智也! それ以上は手を出すな、戻れなくなるぞ」
 気が付いたら、僕は必死に彼にそう叫んでいた。ふと、彼の動きが止まった、ように見えた。彼がこちらを肩越しにチラリと見やり、一瞬驚いたような顔をすると、ゆっくりと苦笑いを浮かべるのを見た。
「心配させやがって……。安心しろ、何もコイツを殺す積りはハナからねえよ。ただ……」
 そう言うと彼は、内ポケットから取り出した小瓶の栓を抜き、奴の鼻先にかざすと、流れるような声でこう呟いた。
「この者を癒せ、ドクダミ」
 小瓶から煙が漏れていく。奴がそれを嗅いだ瞬間、全身を痙攣させだす。しばらくそれが続いたが、やがてネジが切れたおもちゃのように突如パタリと動かなくなった。
「今後のこともあるし、こいつをそのままって訳にもいかねえだろ。さて、俺らの仕事は終わったし、後は掃除屋達に任せるとして、引き上げるぞ」
 彼はそうして、ズボンからハンカチを取り出し手を拭きながら此方へと戻ってきた。ズボンにハンカチを無造作に突っ込むと、彼の両手にはもう切り傷はおろか、その痕さえ全く見えなかった。
「レイ、後で言うことがあるからちょっと付き合え」
 耳元で囁かれる彼の声。先ほどとはトーンが多少違うものの、これも僕の知らない声だった。

◆◆◆

「あれ、智也さんジャケット新調したんですか? 今月はかなり厳しいって言っていたのに」
「ああ、いやね、ちょっとした臨時収入が入ったのよ。あんまり着たきり雀っていうのも社会人としてどうかと思う訳だし」
 いつも世話になっている喫茶店で、管板娘の茶々良ちゃんに彼はいつも通り能天気な言葉で何ともない返しをしている。そりゃそうだろう、血まみれの服なんてどこにも着ていける筈もない。
「でさ、今日は久しぶりに懐が温かいからよ、ちょっと珈琲も贅沢な奴を頼んでみようと思う訳さ。この店の経営を助ける俺の気持ちに感謝しろよ」
 茶々良ちゃんは何とも言えない引きつった顔をしている。いい加減、彼女で遊ぶのもよしたらどうだ。僕が一言突っ込もうとすると、彼は此方を振り向き、意地悪な顔を浮かべた。
「ついでに、俺のおごりでコイツにも一杯やってくれ。仕事開けの朝の目覚めの一杯として」
 僕はもう、何も言う気が無くなって、頭を抑えるしかなかった。

<END>
 このお題が切っ掛けで、「とある探偵~」の設定がほぼ固まった感じです。