声なき呼び声

<創作> <読み切り> <恋愛> <ショートショート/文字数:1,235文字>

公開日:2014/07/11
フリーワンライ企画(Web企画投稿作品再録)
お題:ナツの呼び声/その声に潜む痛みを見つけ出せ/伸ばした手は/月の涙/宵闇に紛れて/秘密の睦言
⇒使用したもの:「ナツの呼び声」「その声に潜む痛みを見つけ出せ」「伸ばした手は」


 同じ職場に新しく入った夏目さんは、全く話すことができない人だった。

 昔喉を患い、手術した関係で声が出せなくなってしまったそうなのだ。
 偶さか私が大学時代、ボランティアサークルに所属しており手話を解すということもあり、彼が私のいる部署に配属が決まったという。
 彼は大柄な熊のような体格だが、とても穏やかで気さくな男性だった。
 だけど最近、彼を見ていると、私は「喋りかける」ことができなくなってしまう。
 それはきっと、あの日の出来事があったからだ……。

 何でもない日だと思っていたあの日。通勤電車の中で、私は太腿の辺りに違和感を覚えた。

 ……痴漢だ!

 後ろにいる奴だ。どうしよう……、誰か、誰か助けて!!
 そう叫びたいのに、喉が引きつって、うぅという呻き声にしかならない。背後にいる変態は、私が振り向いてこないのを良いことに、手の動きをエスカレートさせてくる。

 お願い、助けて……っ!
 言いようのない恐怖と助けを呼べない情けなさに涙が溢れ出てきたその時だった。
「うわっ!」
 叫び声と共に男の手が私から離れた。私は無我夢中で振り向きもせず前の方へと逃げた。
 心臓が破れんばかりに鼓動を速めている。逃げなきゃ、早くここから。
「てめえ、何しやがるんだ!」
 後ろの方で喧嘩が起きている。何が起きているのだろうか、いや、そんなの私の知ったことか。神様、兎に角この車両から無事に降ろして下さい。ただ、そう願い手すりに捕まり体を震わせていた。
「何か言ったらどうなんだよ、オラ!」  鈍い音が同時に聞こえた。騒然とする車内。周囲の人たちが、暴力を振るったであろう男を取り押さえる様子が混雑の合間から見えた。
 次の駅に到着し、扉が開く。飛び出した私は、駅員を見つけると必死に縋った。
「助けて下さい……誰かに下半身を触られましたっ!」
「大丈夫ですか。取敢えず、中に入って落ち着きましょう」
 後ろの方では、暴漢と他の駅員が争うやり取りが聞こえてくる。駅員に支えられながら恐る恐る後ろを振り向いてみて、今度こそ私は声を失った。
「……夏目さん!?」
 振り向いた先には、沢山の駅員に取り押さえられている如何にも下卑た顔つきの男。その更に向こう側に、目の周りに大きな痣を作って座り込んでいる夏目さんの姿があった。どうも、先ほどの男が殴ったのは夏目さんらしい。
 どうして……。

 待合室で私達二人は、お互いに黙り込んでソファに座っていた。
 事情はこうだ。通勤時間、偶さか私と同じ車両に乗り込んだ夏目さんは、私が痴漢にあっているのに気付いて、助けてくれたらしいのだ。でも、夏目さんは声が出ない。そのため、痴漢男のやったことを問い質す前に相手に殴られたらしい……。
 どうしよう、合わせる顔が無い……。
 夏目さんが手を伸ばしてくる。びくっと肩を震わせた私に、夏目さんは何とも言えないような苦笑いを浮かべ、こう手話を紡いだ。
『声はお互い出なかったけど、貴女に何かなくて良かった』
 あの日と同じ、何とも言えないような彼の笑顔を見て私は、また何も言えなくなってしまった。

<END>